なんで子どもの頃、ゲームは制限付きなんだろう

今回は一枚も画像がないよ。

まずは自分語りから

私の子どもの頃は、ファミコン禁止でした。カセットビジョンもあったし、兄がMSX(キングコング)買ったし、私はMSX2を買ったし…あれ?あれも兄が買ったのかな。そんな中でファミコン禁止でした。

その代わりに、何時間MSXに向かっていても何か言われることもなく育ちました。中学に入ってPC-8801FEだったと思いますが、それを買って、ひたすら信長の野望をやっていました。押入れの中に専用ルームを作って。こちらも時間制限無し。

兄弟ともにファミコンは許されませんでしたが、その他のものでゲームをやってもお咎め無しでした。ちなみに、借りるのはOK。ドラクエ3のために本体ごと友人から借りて、ちょっとした本体へのショックで友人のセーブデータを消してしまい、翌日学校へ行くのが大変辛かったのも今となってはいい思い出。もちろん、データが消えた友人の方がもっと辛かったわけですが。

高校時代には内緒でゲームボーイを買って、友人と学校でウィザードリィを遊んでいました。通信対戦とかないのに、一緒になってやってました。彼は今どうしているんだろう。高校時代の一番の友人なのですが、Facebookで検索しても出てこない。情報技術科卒なのだから、Facebookへの登録ぐらいは自身の好みに関わらず世の中への義理でしているだろうと思ったのですが。

今でもたまに検索してます。

まあそんなわけで、ファミコンは禁止でしたが、ゲームそのものは禁止ではなく、とはいえゲームを買うにはお金がいるので年に一本買えるかどうか。自然とベーマガとかのコードを打ち込んでみたり、自分でプログラムを書き始めたりとなるわけです。お土産にベーマガを買ってきた父のセンスには今でも感服しています。

高校生になる頃には仕事用にPC-9801シリーズが寺務所に鎮座することになり、config.sysとかいじり出すわけです。Windows3.0、VisualBasic、懐かしいなぁ。あの頃、256色カラーのTFT液晶ノートPCが40万円とかしていましたね。それでも安くなった方だったわけですが。憧れたなぁ。

そんな流れでPascal、C、C++あたりは自然と書けるようになりました。ただ、3D方面には進めなかったのが残念です。ただコードが書けることと、3Dを扱えることは、雲泥の差がありました。今はUnityとかでいけるんでしょうけど、当時3D扱えた人は今でも第一線にいるんじゃないんでしょうか。それぐらいレベルに違いがあったんです。

その後は宗門系の文系大学へ進み、本山で修行して今に至るわけですが、あの頃からあんまり成長していません。もっとガツガツと勉強すればよかった。

ゲームは読書とも映画とも違うエンターテイメント

そういう後悔はあるものの、そのせいで視力が落ちる訳でもなかったので(大学時代までは両目とも1.2)、ゲームやパソコンに没頭していた時間というのは自分の中でとても大切なものとなっています。RPGでいろんな世界と人生を仮装体験しました。アクションゲームでは反射神経や動体視力が鍛えられ、パズルゲームやアドベンチャーゲームでは知性を問われる。そして何より集中力がひたすら鍛えられる。悪いことは何ひとつない。

よく言われる暴力性の高いゲームの悪影響ですが、子どもはゲームよりも親の言動により大きく影響されます。子どもの言葉遣いが悪くなったら、ぜひご自身の言動を見直してみてください。表向きの言葉遣いだけじゃなく、内面まで含めて。

銃で敵(人)を撃つゲームをやっているからと言って、実際に人に撃つ訳ないでしょ。ゲームを通して、死ぬって知ってるんだから。もしそれで実際に人に向けて撃つ人がいたら、それはゲームの影響ではなく、他の環境のせいです。普通に考えたら当たり前。

なぜ本は何時間ぶっ通しで読んでいても良いのに、ゲームはダメなのか。不思議でなりません。昔はテレビが必須だったから、大人がテレビを見れなくなるという事情があったのでしょうけれど。

ゲームを遠ざけたくなる気持ちも分かる

親御さんが気にする点で同調できる点もあります。勉強を疎かにしてしまう事。勉強よりもゲームになってしまう、それはそうですよね、楽しいですもの、ゲーム。そこはもう、親や周囲の大人がちゃんと見るしかないですよ。宿題を終わらせるまでゲームはダメとか、就寝時間は必ず守るとか。共働き世帯が当たり前になって、子どもと相対する時間が減ってしまっていると思いますが、だからといって放って置いて子どもがちゃんと育つわけがない。
私自身が何時間ゲームをやっていても、やることやってさえいれば文句を言われなかったことを思うと、自分の子どもにもそうさせたいと思います。中学生ぐらいになったら、自分で自分の気持ちをコントロールできるようにならなきゃしょうがない。ちゃんと勉強する時間を確保して、それをこなしてからゲームをする。たったそれだけのことです。他はとやかく言わない。

そんなこと言いつつも、夫婦の共同作業でもありますから、片方の意見だけではよろしくない。なかなか私の思うようには行きませんが自分の経験は常々妻に話しています。のめり込まなきゃ才能は伸びないということも。

さて、どうやってゲームの地位を向上させたら良いか

無理。

もう無理。

今更無理。

生きる標本が自分の子どもに満足にゲームをする時間をあげられないのだから絶対無理。こんな事例、世の中にゴロゴロしていることでしょう。それぐらいゲームへの風当たりは強いのです。無理です。だから、レジスタンスのごとく活動するのです。ちょっとずつ、じわじわと。いつか太陽を見上げられるその日が来るまで。がんばりましょう、同志たち。

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